MY 50's STYLE

50代、飲み屋店主の生き方。

独立へのロード~第2章~

第1章の続きです。

今回は、なぜフランチャイズ店長(サラリーマン)を辞めて、自分で店を始めることになったのか、その理由について書こうと思います。

 

食品スーパーでの14年間の勤務生活に別れを告げ、新業態の飲食業へ飛び込んだのが36歳の時。最初の関門がFC本部での「店長研修」なるものでした。とにかく未知の世界、周りは20代の子ばかりで、店舗実習ではアルバイトの子に苦言を言われることも。お昼の12時からスタートして、最後の反省会が終わるのが翌午前3~4時。近くのビジネスホテルに寝泊まりして1か月弱の研修・・・

なんかすごい時間でしたね。この研修で今までのスーパーでの14年間の経験とか固定概念とか、仕事の仕方とか考え方など、すべてひっくり返された感じです。「とんでもないところに来てしまったのか!?」と感じたこともありましたが、何か自分の殻を破れる可能性も感じていました。

研修を終えての最後のスピーチで、自分が話した内容を少し覚えています。

「自分の生まれつき持っているもの、自分の属性というようなものは、変えられないと思っていた。だがこの研修に参加することによって、もしかしたら変えられるのかも知れない。いや、むしろ積極的に変えることができるはずだ。と思えるようになった。」

 

そのようにして飲食業への第一歩を踏み出すことになる。

 

フランチャイズ店長時代の5年間も振り替えれば色々な事がありましたが、独立を考えるに至った経緯に絞って書きたいと思います。

最大の理由は、フランチャイズシステムへの不信感です。初の飲食業界進出なので、会社は直営ではなくFC を選択。というか、コンサルタントの口車に乗せられた、といった所でしょうか。ちょうど飲食バブルが起こっていた頃でした。

ご存知の通り、FC 店(チェーン店)というのは、原則として全店共通の品揃え、サービス、価格なので、どこの店でも安心して利用できる、というメリットがあります。しかしフランチャイジーとして契約する場合、自社が経営するのは、あくまでもひとつの店舗。(複数、経営する場合もあるが)そうすると、全体的な統一性よりも、個別的な対応の方が重要になる。しかしメニュー、サービスなどは、全店の販売実績や、都心の基幹店の動向を基準に、FC 本部が一方的に決めてしまう。

 

そして現場で何が起きるか・・・

お店にとって、とても大切なお客様が好んで召し上がられる商品が、全体的に人気がないということで、メニューから簡単に削除されてしまう。謝るしかないスタッフ。残念がり、だんだん来なくなってしまうお客様・・・

お店での毎日毎日の小さな努力が、そのたったひとつのメニューの削除で水泡と帰す瞬間…そんな場面に何度か遭遇して、何のために店をやっているのか?と疑問が沸いてきました。

 

もちろん、本部に店の希望を提案する、という道が無いわけではありません。だがそれには時間がかかり、希望が叶うには極めてハードルが高いことを承知しています。ザー(本部)の前では、ジー(加盟店)は至って無力なことを。そこで、ならば直営店舗をやらせてくれ、と、社長に直談判しました。事業計画書、損益計算書などを作成して。しかし、FC 店舗を5店舗やって、ことごとく失敗していた会社にとって、直営店舗への投資をする余力も気持ちも無くなっていたのです・・・

 

その後、店長を続けていたのですが、ちょっと色々あって、社内で干されたりしてました。会社への不信感も起こり始め、「もっと自分が理想とするような店をやりたい。ひとりひとりのお客様を大切にするお店をやりたい。」という思いが芽生えてきました。実は、先日提出した事業計画書が、ある意味、自分が理想とする店の姿だったとも言えるのです。「それを社内で実現できないのならば、自分でやるしかない」という思いが徐々に強くなり、5年前、スーパーから飲食業に移った時の気持ちが蘇って来るのです。「自分の意志で、自分の責任で、変えられる」のだと。ただし今回はサラリーマンという立場を捨て、何の保証も無い自営業者になるので、最終的な結論に至るまでの道のり(葛藤)は、その時の比ではありませんでした。

 

第3章では、その時の葛藤と、最終決断に至る過程を記したいと思います。